昨日の「春秋」に心を打つ文章があったので紹介します。
春秋とは
春秋とは日経新聞に連載されているコラムのことです。いつから連載されているのかはわかりません。少なくとも前身の「中外物価新報」にはそれらしき枠はなさそうです。
【12月2日】本日は弊社、日本経済新聞の創刊日(前身の中外物価新報)なんです…って手前の話で申し訳ない。
— 日経電子版広報部 (@webkanpr) 2015年12月2日
ご参考までに創刊号の1面、置いておきますね。今見ると色々味わい深いものがあります。 pic.twitter.com/hYRcPFyLCJ
さて、昨日の「春秋」に、僕が感じてきたモヤモヤをスカッと解消してくれる文章がありました。共有です。
「不寛容や力による専制に悩む」日本人
そのコラムがこちら。
読んで欲しいのは、このコラムの最後の段落。
2人の原点には若き日に見た「恐怖による支配」への嫌悪があったか。今、幸いにも日本の政治にはそんな手法が用いられる気配はない。だが、職場、学校などではハラスメント、いじめといった不寛容や力による専制に悩む人も少なくなかろう。(2020.2.26付春秋)
コラムは、2.26事件の渦中にいた女性2人を取り上げ、「恐怖による支配」をしていた当時の体制に対する反省、そしてそれら「力による専制」が、84年経った現在でも問題として残り続けていることに関して、警鐘を鳴らしています。
なぜ日本人は「力による専制」とか、同調圧力が大好きなのか
戦時中、「隣組」というクソ馬鹿げた組織が、日本の至る所で自治をしていました。彼らは、体制に反対する者を非国民として容赦無く排除し、またそのような者を排除すべきという同調圧力を力に、国民の精神を統制しようとしました。
この同調圧力は、戦時中に生まれたものではありません。日本人はもっと昔から、「村八分」という「隣組」がやっていたことと何ら変わりのないことをしていました。
島国という閉鎖的環境で、長く鎖国政策を行っていた日本に住んでいた日本人は、広く多様性を認めるより、狭い環境で仲良くやるために同調意識を持った方が得策と考えたのでしょうか。
世界はグローバルであることに、そろそろ気づいた方がいいよ日本人
僕は、「隣組」のような組織や、同調意識という考え方が本当に嫌いです。
なぜ、人と同じように生きなければいけないのか。なぜ、同調圧力に屈しなければいけないのか。人と同じように生きるとかキモすぎます。
コラムでは、ハラスメントやいじめなどの問題を、「力による専制」として、戦前日本の反省が活かされていないことに言及し、成長していない日本に警鐘を鳴らしていると感じました。
今が鎖国中ならまだしも、インターネットの普及、進歩する交通網を前に、世界はどんどんグローバル化しています。いつまでも旧式のやり方にこだわる日本人は、いつの日か(もしかしたら既に)世界標準から取り残され、取り返しがつかなくなるのではないでしょうか。
そんな馬鹿みたいな日本人に、僕はなりたくありません。