鉄道で未来を変えたい

信楽高原鉄道列車衝突事故から27年。

 1991年5月14日、信楽高原鐵道列車衝突事故により42名が命を落とし、614名が負傷した。小野谷信号場–紫香楽宮跡駅間で、貴生川行き上り普通列車と、信楽行き下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」が正面衝突した事故だ。
 原型をとどめないほど激しく損壊した事故車両の写真を見たとき、とても大きなショックを受けた。満員電車の中で多くのお客さまが投げ飛ばされ、押し潰され、苦しみながら亡くなったことを思うと、とてもいたたまれなくなる。
 
 事故当日は「世界陶芸祭」が信楽で開催され、非常に多くの利用客がいたという。しかし、信号トラブルのため貴生川駅の出発信号機が進行現示にならなかった。なんとしても列車を運行させるため、貴生川行き上り臨時快速列車が信楽駅の出発信号機の停止現示を無視して出発した。
 そのころ、信楽行き下り普通電車は小野谷信号場に接近していた。上り電車との交換を行うため、本来なら小野谷信号場の下り出発信号機は赤現示となるはずだが、誤出発検知装置と呼ばれる安全装置が動作せず、小野谷信号場〜信楽間に上り列車がいるにもかかわらず、小野谷信号場の下り出発信号機が進行現示になっていた。
 下り電車の運転士は列車の交換がないため不思議に思いつつも信号機の現示に従って小野谷信号場を通過、先のカーブで前方から前進してきた上り列車と正面衝突した。
 
 信楽焼を全国に発信するために開催された 「世界陶芸祭」は滋賀県も信楽町も期待をよせている一大イベントであったという。厳しい経営状態である信楽高原鉄道にとっても、多客輸送は悲願であった。心待ちにしていた多くのお客さまは皆、列車の出発を待っている。信楽駅の出発信号機は赤だが、信号無視して出発しても安全装置が働いて正面衝突することはない…この状況が、ルール違反を誘発し、事故を発生させた。
 列車の運転を見合わせれば多くのお客さまの期待を裏切ることになる。それでも、お客さまの命を守るためには、ルールを無視してはいけないということを改めて、胸に刻まなければいけない。
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